金沢学 2020年1月講座「明治・大正・昭和の日本画からみる金沢の美術」 [学ぶ・読む]
今月の市民公開講座「金沢学」のテーマは「明治・大正・昭和の日本画からみる金沢の美術」
講師は、石川県立美術館普及課担当課長 前多武志氏。
(北國新聞の記事)
(1)そもそも「日本画」とは
●いつ? ⇒明治以後、油絵具を使う油絵(西洋画)に対して言われた
●材料と技法 ⇒絹や紙などに毛筆を使って岩絵具(顔料)や墨で描いた
●日本画誕生の立役者=フェノロサ、岡倉天心(東京美術学校の設立、日本美術を紹介)
●絵画の変遷
飛鳥~白鳳時代(6~7世紀):仏教絵画の開花
天平時代(7~8世紀):天平絵画
平安前期(8世紀):密教絵画の全盛
平安中・後期(10~11世紀):浄土教絵画の流行(来迎図など)
平安中・後期(10~12世紀):やまと絵の成立(源氏物語絵巻など)
鎌倉・南北朝時代(12~14世紀):肖像画の時代(伝 源頼朝像など)
室町時代(15~16世紀):中国禅宗文化、禅画・水墨画の興隆(雪舟など)
桃山、江戸初期(16~17世紀):金碧障壁画の成立(狩野永徳など)
江戸前期(17世紀):狩野派の全盛、琳派の誕生、浮世絵の誕生
江戸中・後期(17~18世紀):狩野派の全盛、琳派の興隆、文人画・写生画の流行
江戸末期~明治初期(18世紀):明治維新→西洋文物の移入。「日本画」という概念
(2)石川県近代日本画の二本柱
①工業学校(現 県立工業高校)と東京美術学校とのパイプ ※官(行政)主導型
金沢区工業学校は、明治22年に東京美術学校に先駆けて開校。
卒業生が東京美術学校に進学・卒業後、工業学校に赴任するという循環もあった。
②京都画壇と画家のつながり ※草の根的
(3)石川県現代日本画の二本柱
①「現代美術展」の開催
戦後2か月後に第1回開催の驚異
②金沢美術工芸専門学校(現 金沢美術工芸大学)の開校
という内容でのお話でした。
目から鱗だったのは、今まで意識せずに「日本画」と呼んでいましたが、明治以後に西洋画と区別して使われるようになった用語だということ。
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(北國新聞の記事)
(1)そもそも「日本画」とは
●いつ? ⇒明治以後、油絵具を使う油絵(西洋画)に対して言われた
●材料と技法 ⇒絹や紙などに毛筆を使って岩絵具(顔料)や墨で描いた
●日本画誕生の立役者=フェノロサ、岡倉天心(東京美術学校の設立、日本美術を紹介)
●絵画の変遷
飛鳥~白鳳時代(6~7世紀):仏教絵画の開花
天平時代(7~8世紀):天平絵画
平安前期(8世紀):密教絵画の全盛
平安中・後期(10~11世紀):浄土教絵画の流行(来迎図など)
平安中・後期(10~12世紀):やまと絵の成立(源氏物語絵巻など)
鎌倉・南北朝時代(12~14世紀):肖像画の時代(伝 源頼朝像など)
室町時代(15~16世紀):中国禅宗文化、禅画・水墨画の興隆(雪舟など)
桃山、江戸初期(16~17世紀):金碧障壁画の成立(狩野永徳など)
江戸前期(17世紀):狩野派の全盛、琳派の誕生、浮世絵の誕生
江戸中・後期(17~18世紀):狩野派の全盛、琳派の興隆、文人画・写生画の流行
江戸末期~明治初期(18世紀):明治維新→西洋文物の移入。「日本画」という概念
(2)石川県近代日本画の二本柱
①工業学校(現 県立工業高校)と東京美術学校とのパイプ ※官(行政)主導型
金沢区工業学校は、明治22年に東京美術学校に先駆けて開校。
卒業生が東京美術学校に進学・卒業後、工業学校に赴任するという循環もあった。
②京都画壇と画家のつながり ※草の根的
(3)石川県現代日本画の二本柱
①「現代美術展」の開催
戦後2か月後に第1回開催の驚異
②金沢美術工芸専門学校(現 金沢美術工芸大学)の開校
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目から鱗だったのは、今まで意識せずに「日本画」と呼んでいましたが、明治以後に西洋画と区別して使われるようになった用語だということ。
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