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親鸞と蓮如 [学ぶ・読む]

困ったときの神仏頼み、というわけではありませんが、現在起こっている世界規模の新型コロナ禍に、いつも以上に神さまや仏さまにお祈りしたくなります。

おうち時間が増えたので、映画鑑賞(テレビ録画したもの)のほか、読書の時間もできました。

 20200429 親鸞&蓮如.jpg
 五木寛之さんは京都の龍谷大学で仏教史を学んだこともあるのですね

11月から始めた浄土真宗にちなんだ読書。
冬の間は原田マハさんの著作を連続して読んでいたので、いったん中断していましたが、図書館が臨時休館となり、本が借りられなくなったので(本を買わない派)、実家から持ってきて手元にある本を読み、ようやく読み終えました。


浄土宗の宗祖・法然上人が説く「ただ念仏(専修念仏)」の教えに自らが進むべき道を見出した親鸞(当時は範宴・はんねん、1173~1262)
南無阿弥陀仏を唱えることで、すべての衆生が皆ともに等しく救われていく道を「まことの仏法」と受け止め、約800年前に自らが宗祖となって開いたのが浄土真宗。

親鸞聖人の死後およそ200年後の戦国乱世の時代に、親鸞聖人の教えを広く民衆に教えを伝えたのが、真宗大谷派(東本願寺)第8代蓮如上人(1415~1499)
蓮如上人は、15世紀の戦乱と飢餓のなかで苦悩し喘ぐ人々に、親鸞聖人が明らかにされた本願念仏の教えに立ち、ひたすら阿弥陀仏に帰依するところに成り立つ、何ものにもとらわれない人間の解放の道を明らかにし、共に生きる力と勇気を多くの人に伝えたことから、「真宗再興の上人(中興の祖)」と仰がれる。

真宗王国とも呼ばれる北陸。
吉崎(福井県)にしばらく滞在したほか、北陸のあちこちへと出かけていき、仏法をわかりやすく説いて歩いた「蓮如さん」の功績が大きいところです。

親鸞も蓮如も仏教の教えに向かう態度は禁欲的でありながら、肉食妻帯であったり、社会の一般庶民と同じ目線で物事を見て行動する感性に共感と親しみを覚えます。

父が晩年、東本願寺の参議会議員として年に数回、京都に通っては関連書籍を買って(もらって?)きたらしく、実家にはまだまだ浄土真宗関連の書籍があります。
これからも機会を見つけて読み、父がなぜ仏教にあれほど帰依するようになったのか、理解したいと思います。

【学びメモ】
●上人と聖人(しょうにん)
 修行を積み、智徳を備えた高僧の敬称。上人をさらに尊んでいう場合に聖人の語を用いる。

●一向宗(いっこうしゅう)
 浄土真宗のことを指す。
 阿弥陀仏一つを一向に(ひたすらに)信ずるので、世間の人たちが「一向宗」と呼んだのであって、親鸞聖人が言ったのではない。

●一向と只管(ひたすら)
 暗い心を明るい心にする力は、阿弥陀仏にしかないから、「一向専念無量寿仏(阿弥陀仏一仏に助けてもらいなさい)」というのが、お釈迦さまの仏教の結論。浄土教の教え。
 只管打坐(しかんたざ)は、ただひたすら座禅すること。禅宗の語。


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タグ:仏教
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