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金沢学 2020年6月講座「加賀宝生を歩く ~ゆかりの場所で知る歴史~」 [学ぶ・読む]

今年度の金沢大学と北國新聞社の共同事業、市民公開講座「金沢学」が開講されました。

新型コロナの影響で、4月・5月の講座は延期となり、今回の開講にあたっては、会場の長机は間隔が開けられ、受講者はマスク着用・講師はフェイスシールド着用でした。

さて、今月のテーマは「加賀宝生を歩く ~ゆかりの場所で知る歴史~」
講師は、公立小松大学教授 西村 聡(にしむら さとし)氏。

以下、受講メモ。

(1)加賀宝生の定義
●技術的面
 「宝生」はシテ方の流儀。東京の家元・宝生九郎(ホウショウクロウ)を頂点とする。
 金沢では2世佐野吉之助を中心としてシテ方約30名が団結し、加賀宝生の伝統をつぎ、
 三役(ワキ方、囃子方=笛・小鼓・大鼓・太鼓)、狂言方)はそれぞれ各流儀の中心人物を
 網羅し、当地のみで演能できる(地元ですべて揃えられる)状態である。
  ※シテ方の五流儀:宝生、観世、金春、金剛、喜多
 狭義では「加賀のシテ方(の謡い方)」を指して、広義では「加賀のチーム」を指して
 「加賀宝生」と呼ぶ。
●物的面
 能面、能衣装、古文献等、貴重な資料を保管所蔵して演能に使用している。
 金沢能楽会は明治34年(1901)に設立、以来、毎月の定例能の開催を維持している。
●1686年、五代将軍徳川綱吉の命により、前田藩五代藩主綱紀が江戸城で演能したことが
 加賀宝生の始まり。
 二人の大夫(諸橋と波吉)を綱紀の意向で宝生に転流させた。
 御細工所の職人たちに、能楽の一部(謡や囃子)を兼芸させ、教養を高めさせると同時に
 能の人材育成・確保した。
●13代前田斉泰(ナリヤス)の時代が加賀宝生の隆盛期。 

(2)ゆかりの場所
●広坂・香林坊
 加賀八家の一つ、横山家(城南荘)では邸内に能舞台を新築、能楽を催した。
 宗家隆平、分家隆興は鉱山業で成功。両家は金沢能楽会の最大の保護者。
 佐野吉之助の佐野舞台開き(明治33年)、金沢能楽堂舞台開き(昭和7年)
 石川県立能楽文化会館舞台開き(昭和47年)、広坂から石引へ移転。
●県立能楽堂・兼六園
 杜若像の設置(2世佐野吉之助がモデル)
●卯辰山
 卯辰神社境内の井筒:大和国在原寺の井筒が移設された
●浅野川河畔・東山界隈
 浅の川稲荷神社(天道寺)には「宝生紫雪先生終焉之地」碑がある
 観音院では神事能が催された
●尾山神社
 百万石まつりに薪能を行う
 佐野吉之助とともに金沢能楽会の中心的存在となる飯島家は、加賀藩町役者の家柄。
 明治維新後も金沢にとどまり、現在(10世六之佐)まで芸を継承しているのは飯島家のみ。
●大野湊神社
 毎年、神事能を行う

先日行ったばかりの卯辰山三社の話(井筒、泉鏡花の『照葉狂言』に出てくる日暮の丘)も出てきて、金沢市内の各所に能に関係ある場所が点在していることを興味深く聞きました。

金沢能楽会の毎月の公演も新型コロナの影響で休演が続いています。
最近、無観客で演能を行いネット配信(無料)されることになりました
私も年に一回は石川県立能楽堂で能・狂言の公演を観るのを楽しみにしていますが、早く通常の公演が再開されるのを願っています。

     20200613 金沢能楽会.jpg

今日は初回の受講とともに、今年度の金沢検定の受験申込(中級!)をしました。
10月末の試験日に向けて、ゆかりの地を歩いてめぐる実践型学習も続けます。


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タグ:検定 能楽 金沢
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