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重森三玲 庭を見る心得 [学ぶ・読む]

以前から気になっていた作庭家・庭園史研究者、重森三玲(しげもりみれい 1896-1975)が過去に執筆した文章をまとめた最新刊『重森三玲 庭を見る心得』を読みました。

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岡山県に生まれ、21才で上京し日本美術学校に学び、関東大震災を機に岡山に戻るが33才で京都に移住。
三玲という名前は、フランスの画家ジャン・フランソワ・ミレーにちなんで改名したそうです。

以下、読書(解釈)メモ。

●作庭の楽しみ
あらかじめ設計(地割、石組、植栽)をしていても、結局は現場(その場所)でしかできない絶対的なものが庭園。
庭園の場所の広狭・高低、土質、背景、建築との調和などはある程度事前に考えられるが、石の向きや木の枝ぶり、光の加減などは現場でないとわからない。
そこに創作が生まれる。独自の花を咲かせてこそ意味がある。

●流派的な定型化を批判
庭とともに、茶の湯、いけばなを重んじつつも、流派による定型化を批判して新しい感覚による創作性を重んじた。
「元来お茶と云うものは、生活の美的縮図化であり、生活の芸術家だと云う風に考えている私のことだから、固定し、定型化した従来の流派的なお茶は、いわゆる茶の湯だとは考えていない。」

定型化したもののほうが教えやすいからであり、家元制度というギルド的組織によって先生方にとっては生活を支えることにもなる。これは茶道のほか、いけばな、舞踊などにも当てはまる。
しかし、流派的な定型化は創作性を否定することになる。

茶の湯の大成者・千利休は「四十を過ぎれば東を西に、山を谷に」と教えた。
つまり、四十歳頃までは仕方がないから、師匠に教えられた通りを習ってもよいが、その辺から自覚と反省とをもって、師匠が東と教えたら西を創作しなさい、山と教えたら谷を創作しなさい、と言って聞かせているのだという言う。

●庭における永遠性
岸和田城本丸の作庭の際、将来、上空からヘリコプターで飛行しつつ観賞されることも計算に入れて地割した、というエピソードに驚き。

創作の中で重要な点と考えていること。
第一に明朗な庭園であること、第二にボリュームのあること、第三にモダンであること。今日だけのモダンではなく、永遠のモダンであることに最大の努力をした。

●庭を見る心得
「庭を見るということは、庭という一つの芸術品を見ることであるから、正しい心をもって見ることが必要である。」
「寺院の庭を見る時には、庭を見る前に、一応仏殿なり方丈で、本尊や開山に一礼してから庭を見る位の心得がほしい。(中略)そこの主人に対する挨拶と同様である。」

予備知識をつけておくことは一応必要だが、場合によっては最初から無心に庭にぶつかることが必要。(説明テープなどは困ったもの、というくだりに同感)

「一度や二度や三度見たといって、正しく理解出来るものではない。」
庭は生物的存在であるから、天候や季節、時間帯、周囲に人がいるかいないか、見る条件によって千変万化である。

「芸術品を見るということは、自らの心を養う、内容的な栄養素である(中略)その栄養素が大いに摂取出来るのは、その見る人の力であり、見る人の努力であり、見る人の心得次第である。」
"審美眼"を持つ、磨くことが肝要ということですね。


重森三玲さんが作庭した東福寺の「八相の庭」(市松模様、北斗七星の石組など)、大徳寺瑞峯院(十字架の石組など)、最晩年に手がけた最高傑作と言われる松尾大社の「上古の庭」、そして重森三玲庭園美術館(かつての自邸)を訪れて、彼が作庭した芸術品を自分の目で確かめたい。

また、龍安寺の石庭、銀閣寺(慈照寺)の銀沙灘(ぎんしゃだん)と向月台(こうげつだい)という砂盛、嵯峨嵐山の西芳寺(苔寺)の庭園も。

いつか、京都に一週間くらい滞在して、一つひとつの庭をゆっくりと観賞する時間を持ちたいものです。


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タグ:庭園
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