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金沢学 2020年8月講座「金沢城鼠多門の謎」 [学ぶ・読む]

金沢大学と北國新聞社の共同事業、市民公開講座「金沢学」の8月講座に出席しました。

予定では4月に、今年度の開講講座として行われるはずでしたが、新型コロナの影響で延期されたのです。
開講講座だったということで、二部構成でした。

まずは基調講演「金沢城の特徴と魅力
講師は萩原さちこさん(城郭ライター・編集者、公益財団法人日本城郭協会理事)

以下、受講メモ。

●金沢城は、多種多様な石垣が野外美術館の展示のように城内に点在する「石垣の博物館」
 技術面だけでなく、色紙短冊積みに代表される、独自性と美意識の現れが見られる石垣

●織田信長以降、豊臣秀吉の家臣らが城に石垣を採り入れた(そのため、石垣は西日本に多い)

●明暦の大火後、江戸城の天守台の再建を担当したのが5代藩主・前田綱紀だった
 大事業を任されるということは築城技術が高い証拠

●鉛瓦、海鼠壁、唐破風付きの格子窓など、建造物に見られる美意識と格へのこだわり

●鼠多門と鼠多門橋の歴史
 宝暦9年(1759) 金沢大火(宝暦の大火)により金沢城の大半が焼失したが、鼠多門は残存
 明和2年(1765) 鼠多門橋を架け替え
 文化9年(1812) 鼠多門を修理
 明治10年(1877) 鼠多門橋、老朽化により撤去
 明治16年(1883) 玉泉院丸に陸軍監獄署が新築され、鼠多門は陸軍の倉庫として使われる
 明治17年(1884) 鼠多門が焼失
 明治31年(1898) 鼠多門堀が埋め立てられる

●1615年以降、基本的に新しい城は造られなかった
 例外として、徳川幕府が必要とした場所(敵対する大名の領地となり、江戸への街道途中など)には築城された。また、城の改修には幕府の許可が必要だった。

 鼠多門橋から向かって右(南側)の鼠多門の櫓と石垣
 20200830 鼠多門1.jpg
 左(北側)
      20200830 鼠多門2.jpg

基調講演に続いて、シンポジウムとして萩原さん、川元傳氏(石川の伝統的建造技術を伝える会 会長)、小倉正人氏(北國新聞社論説委員)の鼎談がありましたが、とりとめのない話に終始して「金沢城鼠多門の謎」が何なのかすらもわからないまま、、


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タグ:金沢城
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