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金沢学 2020年10月講座「前田利長の遺誡と本多政重の帰参」 [学ぶ・読む]

金沢大学と北國新聞社の共同事業、市民公開講座「金沢学」の10月講座。

今回のテーマは「前田利長の遺誡と本多政重の帰参
講師は見瀬和雄氏(金沢学院大学名誉教授)

以下、受講メモ。

まずは前田利家
●加賀藩二代目藩主
●豊臣政権五大老の中で唯一徳川家康方についた戦勝大名
●関ケ原の戦いの後、領知統治体制整備
●慶長10年(1605)、富山城に隠居。慶長14年 高岡城に移徙
●慶長16年、病気悪化。5月15日、遺誡を利光(のちの三代藩主利常)と家中に残す

遺誡とは「後人のために残した、戒めの言葉」(一種の遺言書)

利長は、幕府が西国大名に3か条の誓詞を差し出させたことを重く見て、利光(利常)や重臣宛に遺誡を示した。
利長の大きな課題は、何とかこの大名家を維持すること。

●利長が隠居時、利光はまだ13歳、主体的に藩政を担うには若年だった
 死後の前田家を思うとき、若年の利光が藩政運営や対幕府の姿勢について誤らないように訓示
●家中内部が大きく二つに分裂していて将来に大きな不安があった
 利光の補佐や家中に対する指導担当として譜代中の譜代である前田長種・奥村家富を抜擢し、家中相互の関係修復などを命じた

利長は、家中一統を実現するために、かつて召し抱えていて人物をよく知っている本多政重を破格の待遇で召し抱え、利光補佐の体制を作ろうとした。


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