犀星の肖像 [金沢 観る・遊ぶ]
室生犀星記念館で企画展「犀星の肖像」を観てきました。
「何とかして写真だけは写すまい」というコピーが笑える
顔といふものは一旦これを親から貰つたからには、 一生持つて廻らなければならないし、 これを修正補足するといふことは出来ない、 毎日これは他人から見られるし、 見せないで隠匿することも不可能である。・・・
「顔といふもの」(『硝子の女』昭和35年)
あらゆる方面に独特の美学と審美眼を持つ犀星にとって、自分の顔は暗い悩みの種だったようです。
(私が初めて犀星の顔を見たのは国語の教科書で。その時の印象は「蝉みたい」)
上記の「顔といふもの」以外にも、「顔を気にする」「容貌」「嫌ひ」(私の顔)「顔と顔」「顔の美感」など顔を語るエッセイが多数あるのがコンプレックスを持っていた証拠。
写真に写るときの注意点として「写真撮影四か条」が随筆に書かれているほどの写真嫌い。
1.何かを手にして写るべし
2.座って写るべし(背丈がちんちくりんであることも気にしていたようです)
3.横を向いて写るべし(真正面から撮られる自信がなかったらしい)
4.日光のないところで写るべし(日光の真ん中に写した写真は頬が落ち虚無僧のようだとか)
友人の萩原朔太郎と並んで撮られた写真が『文章倶楽部』に掲載されるや、「下駄が眼鏡をかけてゐるやうだ」と不愉快に感じ、写真に校正がないのは酷いと文句を書いていたりもします。
(どんだけ嫌いなの~)
今回の企画展では、犀星の「顔」への深刻な自虐ぶりをひもときながら、肖像画、写真、挿絵、ユーモラスに描かれた文壇漫画、文学者による描写など、さまざまな犀星の顔を紹介する内容です。
(時折、思わずクスッと笑ってしまう)
生家跡に建つこの記念館には開館(2002年8月)間もない頃に最初に訪れて以来。
吹き抜けの壁一面に犀星の全著書の初版本の表紙パネルが年代順に並ぶ「心の風景」
多作かつ多彩な作家であった犀星の活躍の歴史がうかがえます。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの・・・」(『小景異情』その二)
俳句で文学に開眼し、やがて詩を作り始め、さらに小説や随筆、説話、映画評論などと執筆の幅を広げていきました。
庭を愛した犀星。犀川の流れや庭石をイメージした池を二つの庭に配してあります。
(つくばいや石塔は犀星の庭にあったもの)
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「何とかして写真だけは写すまい」というコピーが笑える
顔といふものは一旦これを親から貰つたからには、 一生持つて廻らなければならないし、 これを修正補足するといふことは出来ない、 毎日これは他人から見られるし、 見せないで隠匿することも不可能である。・・・
「顔といふもの」(『硝子の女』昭和35年)
あらゆる方面に独特の美学と審美眼を持つ犀星にとって、自分の顔は暗い悩みの種だったようです。
(私が初めて犀星の顔を見たのは国語の教科書で。その時の印象は「蝉みたい」)
上記の「顔といふもの」以外にも、「顔を気にする」「容貌」「嫌ひ」(私の顔)「顔と顔」「顔の美感」など顔を語るエッセイが多数あるのがコンプレックスを持っていた証拠。
写真に写るときの注意点として「写真撮影四か条」が随筆に書かれているほどの写真嫌い。
1.何かを手にして写るべし
2.座って写るべし(背丈がちんちくりんであることも気にしていたようです)
3.横を向いて写るべし(真正面から撮られる自信がなかったらしい)
4.日光のないところで写るべし(日光の真ん中に写した写真は頬が落ち虚無僧のようだとか)
友人の萩原朔太郎と並んで撮られた写真が『文章倶楽部』に掲載されるや、「下駄が眼鏡をかけてゐるやうだ」と不愉快に感じ、写真に校正がないのは酷いと文句を書いていたりもします。
(どんだけ嫌いなの~)
今回の企画展では、犀星の「顔」への深刻な自虐ぶりをひもときながら、肖像画、写真、挿絵、ユーモラスに描かれた文壇漫画、文学者による描写など、さまざまな犀星の顔を紹介する内容です。
(時折、思わずクスッと笑ってしまう)
生家跡に建つこの記念館には開館(2002年8月)間もない頃に最初に訪れて以来。
吹き抜けの壁一面に犀星の全著書の初版本の表紙パネルが年代順に並ぶ「心の風景」
多作かつ多彩な作家であった犀星の活躍の歴史がうかがえます。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの・・・」(『小景異情』その二)
俳句で文学に開眼し、やがて詩を作り始め、さらに小説や随筆、説話、映画評論などと執筆の幅を広げていきました。
庭を愛した犀星。犀川の流れや庭石をイメージした池を二つの庭に配してあります。
(つくばいや石塔は犀星の庭にあったもの)
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