谷崎潤一郎と芥川龍之介 ―鏡花を愛した二人の作家 [金沢 観る・遊ぶ]
泉鏡花記念館で鏡花生誕150年記念特別展「谷崎潤一郎と芥川龍之介―鏡花を愛した二人の作家」を観てきました。
今年は泉鏡花(明治6年=1873年11月4日生まれ)の生誕150年の記念年。
明治末期から大正期以降の鏡花を支えた二人の作家と鏡花との親交の軌跡を紹介する特別展です。
一人は谷崎潤一郎(1886-1965)
明治45年1月、東京・芝の紅葉館で開かれた文芸家新年宴会で、鏡花と同郷で同じく尾崎紅葉の門下生だった徳田秋聲の紹介で鏡花と面識を得て以降、親しく交流。
昭和14年(1939年)9月7日に鏡花が亡くなり、芝の青松寺で行われた告別式の出棺後は、鏑木清方、笹川臨風、徳田秋聲、水上瀧太郎、里見弴、久保田万太郎、小村雪岱、鰭崎英朋らとともに谷崎も付き添ったとのこと。
また、岩波書店からの鏡花の全集刊行にあたっての編纂委員にも名前を連ねました。
鏡花の妻すず、谷崎の妻松子、夫人同士も手紙をやりとりをする交流がありました。
もう一人は芥川龍之介(1892-1927)
鏡花の「草迷宮」(明治41年1月)発表当時、中学生ながら同作を読みふけるあまり、試験勉強を怠ってあわや落第の憂き目に遭うところだったという逸話が残っています。
昭和2年7月24日未明、自室で致死量の睡眠薬を服用し自死した芥川。
翌25日の「東京日日新聞」に、「え、え、え夢ぢやないかな。夢であつてくれればいいが何で死んでくれたのか怨めしい」という鏡花の驚きと嘆きが掲載された。
27日に行われた葬儀では、鏡花は先輩総代として最初に弔辞を読んだほどの仲でした。
(谷崎も上京して通夜、葬儀に参列)
【おまけ】
シネマ歌舞伎で、泉鏡花生誕150年記念の4作一挙上映が10月~11月にあります。
坂東玉三郎さんが主演の鏡花作品「海神別荘」「高野聖」「天守物語」「日本橋」
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今年は泉鏡花(明治6年=1873年11月4日生まれ)の生誕150年の記念年。
明治末期から大正期以降の鏡花を支えた二人の作家と鏡花との親交の軌跡を紹介する特別展です。
一人は谷崎潤一郎(1886-1965)
明治45年1月、東京・芝の紅葉館で開かれた文芸家新年宴会で、鏡花と同郷で同じく尾崎紅葉の門下生だった徳田秋聲の紹介で鏡花と面識を得て以降、親しく交流。
昭和14年(1939年)9月7日に鏡花が亡くなり、芝の青松寺で行われた告別式の出棺後は、鏑木清方、笹川臨風、徳田秋聲、水上瀧太郎、里見弴、久保田万太郎、小村雪岱、鰭崎英朋らとともに谷崎も付き添ったとのこと。
また、岩波書店からの鏡花の全集刊行にあたっての編纂委員にも名前を連ねました。
鏡花の妻すず、谷崎の妻松子、夫人同士も手紙をやりとりをする交流がありました。
もう一人は芥川龍之介(1892-1927)
鏡花の「草迷宮」(明治41年1月)発表当時、中学生ながら同作を読みふけるあまり、試験勉強を怠ってあわや落第の憂き目に遭うところだったという逸話が残っています。
昭和2年7月24日未明、自室で致死量の睡眠薬を服用し自死した芥川。
翌25日の「東京日日新聞」に、「え、え、え夢ぢやないかな。夢であつてくれればいいが何で死んでくれたのか怨めしい」という鏡花の驚きと嘆きが掲載された。
27日に行われた葬儀では、鏡花は先輩総代として最初に弔辞を読んだほどの仲でした。
(谷崎も上京して通夜、葬儀に参列)
【おまけ】
シネマ歌舞伎で、泉鏡花生誕150年記念の4作一挙上映が10月~11月にあります。
坂東玉三郎さんが主演の鏡花作品「海神別荘」「高野聖」「天守物語」「日本橋」
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