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いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史 [学ぶ・読む]

いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(じっぴコンパクト新書、康煕奉カンヒボン著)を読みました。
    
   20230514 韓国時代劇を楽しむ1.JPG

歴史を描きながら、虚実を巧みに混ぜてドラマにしているため「ファクション」と呼ばれる韓国時代劇。
韓国時代劇をいくつか見ると、あの時代が次の時代に続いているのね、とわかってきて面白い。
より楽しむために、朝鮮王朝の歴史を知っていたほうが楽しい。
ということで、もってこいの本を見つけたので、図書館で借りて読んだのです。

 20230514 韓国時代劇を楽しむ2.JPG

あの時代劇で描かれたあの王様が、別のドラマではどう描かれたか。
あの時の世子・王子が、このドラマでは王となって、というふうに関連づけて見ていくのも面白い。

つい先日までは「オクニョ」を見ていて、今は「宮廷女官チャングムの誓い」と「トンイ」を同時に見ています。(どちらも以前に観たことがある作品シリーズですが、二巡目)
時代劇の他にも韓国ドラマも二本。(今はパク・ソジュンにハマっていますの~)
月~金まで毎日、帰宅後に録画しておいた韓国ドラマを見ながら仕事の緊張感を解きほぐす。
録画消化するのは大変だけど、今はそれが至福の時間だったりもするのです。

<目次>
朝鮮王朝の歴代国王
朝鮮王朝の歴代王妃
はじめに 韓国時代劇の成り立ち
第1章 韓国時代劇の人気作品で一挙に把握!朝鮮王朝の歴史とエピソード
第2章 韓国時代劇を見るときに必読!「朝鮮王朝の歴史/簡潔編」
第3章 朝鮮王朝をより深く知るための重要な歴史知識
第4章 これが韓国時代劇の主人公たちの実像!
第5章 韓国時代劇の最強ネタは「朝鮮王朝三大悪女」!
第6章 朝鮮王朝を揺るがせた重大事件の張本人


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オトナのたしなみ [学ぶ・読む]

エッセイ、柴門ふみ著『オトナのたしなみ』(キノブックス)を読みました。
    
   20230422 オトナのたしなみ.JPG

図書館へ借りていた本を返しに行って、ついでに「今日返ってきた本」コーナーで見つけました。
タイトルを見て、表紙を見て、軽い気持ちで読めるような気がして借りました。

柴門ふみが今の私と同じ年齢のとき(還暦目前)に書いたエッセイ。
柴門さん自身の数々のイタイ経験から学んだオトナ流儀を、アラフォー、アラフィフの後輩女子たちに教えるというものですが、
「女友達との付き合い方」
「着る服が見つからなくなったら」
「お誘いの上手な断り方」
「孤独な老人にならないために」
など、まさしく「あるある!」「なるほど!」と共感することばかり。

ほんと、(年齢的には)いいオトナなのだからチャンとしなくちゃね。


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タグ: エッセイ
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金沢学 2022年4月講座「魅力的な金沢の仏像たち」 [学ぶ・読む]

今年度も金沢大学と北國新聞社の共同事業、市民公開講座「金沢学」を友人と受講することにし、今日が開講日でした。

2022年4月講座の演題は「魅力的な金沢の仏像たち」
講師は森雅秀氏(金沢大学 人間社会研究域 教授)

簡単に受講メモ。

阿弥陀三尊とは

  勢至菩薩(右脇侍)・阿弥陀如来(中尊)・観音菩薩(左脇侍)
  20220416 阿弥陀三尊.jpg
  (画像は京都国立博物館HPから拝借)

如来を中心に両脇侍(きょうじ)の三像のこと。
勢至菩薩は阿弥陀如来の「智慧」を、観音菩薩は「慈悲」をあらわす化身。

鬼子母神とは
子宝・安産祈願の神様。
子孫繫栄をあらわす吉祥果「ザクロ」を手にしている。
鬼子母神、普賢菩薩と共に法華経信仰を守護する「十羅刹女(じゅうらせつにょ)」という十人の大鬼神女がいる。

鬼子母神は救う神でもあり殺す神でもある。
天然痘などの病気から子どもを守る。
不妊祈願をし、一方で流産祈願もする。
供えるものとしては、底の抜けた柄杓(廓の遊女などの子どもを流したいという願い)、子どもの写真(エコー写真も。妊娠中絶した女性が供養のために)、子どもの着物(「背守り」は母親が子どもの着物の背中に縫い付けた刺繡。子どもを禍から守る魔除けの意味がこめられている)。

  東山の真成寺(しんじょうじ)の鬼子母神像(お寺のHPから拝借)
  20220416 真成寺鬼子母神像.jpg

●泉鏡花と摩耶夫人
幼くして母を亡くした鏡花は、お釈迦様の母親である摩耶夫人(まやぶにん)に母の面影を重ね合わせ、「夫人利生記(ぶにんりしょうき)」という小説を書いた。
金沢帰省のたびに、摩耶夫人尊天像を安置している善妙寺(末広町、卯辰山三社の奥)に詣でたと言われている。


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タグ:仏像
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金沢学 2021年7月講座「豪雪、豪雨、そして地震 ~金沢の自然災害と防災を考える~」 [学ぶ・読む]

市民公開講座「金沢学」の2021年度7月講座の演題は「豪雪、豪雨、そして地震 ~金沢の自然災害と防災を考える~」
講師は宮島昌克氏(金沢大学 理工研究域地球社会基盤学系 教授)

簡単に受講メモ。

●防災:平常時に災害時のことを考える
 「北陸は災害の無い、済み良いところ」と言うのは、根拠のない安全神話
 北陸の自然災害(過去の事例)を知り、他地域で発生した災害事例から学び、想像力を発揮して備えることが大事

●豪雪
 等圧線の間隔が狭いと(西から吹く強い季節風)山雪型、間隔が広いと(弱い季節風)里雪型
 18年周期で豪雪発生(38豪雪、56豪雪)・・・最近は積雪量(根雪)が減少
 積雪被害の変化:かつては家屋倒壊→車社会になり交通マヒ→高齢社会になり除雪中の事故
 低温による水道被害:空き家問題(過疎化で留守宅の屋外給水管の凍結・破損による断水)

●豪雨・土砂災害
 河川の上流の降雨量(外水氾濫)、水位(内水氾濫)に注意
 降り始めからの降雨量(200mm/時を超えると危ない)、三日間降水量に注意
 
●地震・津波被害
 石川県は有感地震が少ないため、備えができていない
 金沢で今後30年以内にM7.2(兵庫県南部地震はM7.3)の地震発生確率2~8%(高い!)
  南海地震、東南海地震の発生確率はもっと高い(40~50%程度)
  火災に罹災する確率は2%、交通事故で死亡する確率は0.2%
 硬い地盤より軟弱地盤のほうが揺れが大きい
 津波はリアス式海岸だけではない(日本海でも50年に1回は4mを超える津波発生あり)

●防災を考える
 公助(=防災は国・自治体が行うもの)→共助、自助(=自分の命は自分で守らねば!)
 ハザードマップはリスクを知るものであり、安心を得るものではない
 最悪の状況を想定(想像)して対応を準備することが大事!(防火・防犯と同様に防災も!)


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タグ:自然災害
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金沢学 2021年1月講座「金沢の食、むかしといま」 [学ぶ・読む]

金沢大学と北國新聞社の共同事業、市民公開講座「金沢学」の1月講座。

今回の演題は「金沢の食、むかしといま」
講師は新澤祥惠氏(北陸学院大学 短期大学部教授)

簡単に受講メモ。

【石川県の食】
 能登は海産物の宝庫。加賀は米どころ、豊かな農産物。
 金沢は県内・北陸・全国の食材が集まる。新鮮で多様な食材による多彩で華やかな料理。

【金沢の食】
●治部煮(じぶに)
 動物性(つぐみ、鴨などの肉を使う)と植物性の両方の栄養がとれてバランスが良い。
 もともと江戸の料理で、参勤交代で江戸から持ち込んだのではないか。
 一般的に郷土料理は家庭内(母、祖母、姑)で伝承されるのが中心だが、治部煮は例外。

●鯛の唐蒸し
 婚礼や祭礼などのめでたい時に作られる料理。鯛のお腹の中に卯の花(おから)を詰めて蒸す。

●ハレの食(特別の日、供応・行事食)
 一般的に郷土料理は「ケ」の食事が多いが、金沢では「ハレ」の食事が代表的。
 行事に作る寿し(押し寿し=箱ずし、笹ずし、柿の葉ずし)
 えびす(醤油味の寒天に溶き卵を流したもの、はやべし、べろべろ等の呼称あり)
 雑煮:能登は餅以外の副材料が多い。加賀は丸餅で具材少ない。金沢は角餅。

●ケ(日常)の食
 なすそうめん(茄子と素麵を汁物に入れたり、醬油味で煮たり)
 茄子の含め煮を「オランダ煮」と呼ぶ

●加賀野菜
 昭和20年(1945)以前から栽培され、現在も主として金沢で栽培されている野菜(現在15品目)
 1990年代から「加賀野菜」という言葉が使われるようになった。

●魚介類と料理
 日本海は対馬暖流と深層水で成り立ち、水温が冷たい。
 北陸は生産地と消費地が近い(朝獲れがその日のうちに食卓に)

【まとめ】 
●金沢(石川)の食は、「もてなしの食」が豊か
●生鮮魚介類が多い
●米加工品が多い
●多様な発酵食品と多様な活用がある
●仏事と祭りの料理がある
●「食文化」という言葉は1980年代になってよく使われるようになった


言葉もそうですが、食も、子どもの頃から"当たり前"と思っているコト・モノが実は地域独特だったりということがありますね。
ウチは能登ですが、母が富山県出身ということもあり、祖母からの伝承もあり、どの地域の特徴なのかわからないのですよね、実のところ(笑)


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金沢学 2020年12月講座「堀田善衛 戦争と戦後を問うた旧制金沢二中出身者」 [学ぶ・読む]

金沢大学と北國新聞社の共同事業、市民公開講座「金沢学」の12月講座。

今回の演題は「堀田善衛 戦争と戦後を問うた旧制金沢二中出身者」
講師は飯島洋氏(金沢大学 人間社会研究域 准教授 専門は日本近代文学)

今回は資料を読み上げる一方で、まるで大学の大教室での講義を聴いてるみたいで、メモをほとんど取らず隣に座っていた友人と筆談ばかりしていました。(先生、ごめんなさい!)

というわけで講義メモの代わりに北國新聞サイトに掲載の記事を借用。

 20201219 金沢学.jpg

ただ、印象に残ってメモしたこともある。
●堀田善衛は、金沢に誇りを感じていて、東京には文化施設(建物)がたくさんあり、金沢には建物は少ないが、住民が東京よりも身近に文化に触れられる環境がある、と思っていた。

たしかに、それは私も実感していること。


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タグ:文学 金沢
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加賀本多家のはじまり -前田利長と本多政重ー [学ぶ・読む]

加賀本多博物館で秋季特別展「加賀本多家のはじまり -前田利長と本多政重ー」を観てきました。

     20201018 加賀本多家のはじまり.jpg

先日の金沢学で「前田利長の遺誡と本多政重の帰参」というテーマの話を聞いたばかり、さらに知識を深めようということで。    

加賀藩には、一万石以上の禄を与えられた大名暮らすの重臣で、年寄役を務める家が8つあり、これらは「加賀ハ家(はっか)」と呼ばれ、平時には藩内の政務を統括し、戦時には軍団の長となる藩内最上級の家柄だった。

本多家は八家のひとつであり、大名の3分の2が禄高5万石以下であった江戸時代に、五万石という破格の高禄を受けていた。
また、本多家には藩主前田家より、三代利常六女・春姫、12代斉広七女・寿々姫の二度にわたり輿入れがあるほどの家柄だった。

加賀本多家は、本多家初代政重が前田利長に招かれた慶長16年(1611)に始まる。
●徳川家康の重臣・正信の次男
●奉公先を次々と変え、関ケ原の戦いでは宇喜多秀家の家臣として西軍で活躍
●慶長9年(1604)には上杉景勝の執政・直江兼続の養子として米沢に居住し、直江勝吉を名乗る
●慶長16年(1611)に加賀藩に仕え、重要政務に携わる

今回の特別展では、慶長16年になされた政重の加賀藩登用に関する史料を公開。
駿府の大御所・徳川家康の信頼厚い伊勢津藩藩主・藤堂高虎が直江勝吉(のち本多政重)を加賀藩3代藩主・前田利光(のち利常)附きの家臣に推薦したことにはじまり、最終的に2代藩主・前田利長の決断によって政重登用が決定するという交渉過程が確認できる非常に興味深い資料を展示。
また、初公開となる前田利長黒印状4通を展示。

 20201018 加賀本多博物館.jpg
 本多家の家紋は立葵


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タグ:歴史 武士
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金沢学 2020年10月講座「前田利長の遺誡と本多政重の帰参」 [学ぶ・読む]

金沢大学と北國新聞社の共同事業、市民公開講座「金沢学」の10月講座。

今回のテーマは「前田利長の遺誡と本多政重の帰参
講師は見瀬和雄氏(金沢学院大学名誉教授)

以下、受講メモ。

まずは前田利家
●加賀藩二代目藩主
●豊臣政権五大老の中で唯一徳川家康方についた戦勝大名
●関ケ原の戦いの後、領知統治体制整備
●慶長10年(1605)、富山城に隠居。慶長14年 高岡城に移徙
●慶長16年、病気悪化。5月15日、遺誡を利光(のちの三代藩主利常)と家中に残す

遺誡とは「後人のために残した、戒めの言葉」(一種の遺言書)

利長は、幕府が西国大名に3か条の誓詞を差し出させたことを重く見て、利光(利常)や重臣宛に遺誡を示した。
利長の大きな課題は、何とかこの大名家を維持すること。

●利長が隠居時、利光はまだ13歳、主体的に藩政を担うには若年だった
 死後の前田家を思うとき、若年の利光が藩政運営や対幕府の姿勢について誤らないように訓示
●家中内部が大きく二つに分裂していて将来に大きな不安があった
 利光の補佐や家中に対する指導担当として譜代中の譜代である前田長種・奥村家富を抜擢し、家中相互の関係修復などを命じた

利長は、家中一統を実現するために、かつて召し抱えていて人物をよく知っている本多政重を破格の待遇で召し抱え、利光補佐の体制を作ろうとした。


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金沢学 2020年9月19日講座「オリンピックと平和をめざした情熱 ~郷土の偉人・大島鎌吉~」 [学ぶ・読む]

金沢大学と北國新聞社の共同事業、市民公開講座「金沢学」の9月19日講座。(予定では5月実施予定だった講座)

今回のテーマは「オリンピックと平和をめざした情熱 ~郷土の偉人・大島鎌吉~
講師は野村泰裕氏(大島鎌吉スポーツ文化金沢研究会代表)

以下、受講メモ。

そもそも大島鎌吉って誰?
●明治41年(1908)に金沢市で生まれた
●1932年開催ロサンゼルス・オリンピックの三段跳びで銅メダルを獲得
●1964年東京オリピックの日本選手団団長を務めた
●戦後、五輪を通じた平和運動、青少年育成運動に取り組み、東京オリンピックの誘致運動にも尽力

●(旧制中等学校)金沢商業高校時代(当時、校舎は彦三にあった)
 陸上競技部に所属
 当時、三段跳びは「ホップ・ステップ・ヂヤンプ」と呼ばれた
 大島は2年生の時に、棄権した上級生の代役として出場し、いきなり優勝
 5年生の時、初の国際大会・極東選手権大会(上海)に出場、14m39の記録で銀メダル
 その4か月前、「彦三の大火」(1927年4月)が起こり、燃えさかる校舎の校門に掲げられている「県立金沢商業学校」の門標を外して救った。大島の「母校愛」がうかがえるエピソード

●関西大学時代
 1928年(昭和3)、早稲田大学などからの勧誘があったにもかかわらず、関西大学に入学
 「関東ばかりが強くてはダメだ。東西の学校が競い合ってこそ競技力が高まる」という「反骨精神」によるもの
 3年生で主将になり、理論的な練習を取り入れた

●オリンピック ロサンゼルス大会
 大学1年の時のアムステルダム大会は国内予選会で敗退、惜しくも出場できず
 三段跳びの本番4日前、選手村宿舎のガス風呂が爆発し、大火傷を負い、ぶっつけ本番で決勝に臨み、15m12で見事銅メダルを獲得
 帰国後の報告文の中で、「オリンピックにおいて、重要なことは勝つことではなく、参加することです」というクーベルタン男爵の言葉(オリンピックのモットー)を英文で紹介した
 大島にとってはメダル獲得よりもオリンピックの理想の姿を学んだことのほうが大きかった

●オリンピック ベルリン大会
 ロサンゼルス大会の2年後、大島は毎日新聞社に入社、運動部の記者として所属しながら競技生活を継続(15m82の世界記録を樹立)
 1936年のベルリン大会では日本選手団主将兼旗手として三段跳びに出場
 開会式の入場での出来事。身長順で行進する際、(日本統治時代だった)朝鮮人選手の後ろを歩くことになった陸軍出身の選手が不満を漏らしたことに大島は一喝。「日本人も朝鮮人も同じ人間。オリンピックは平和の祭典だ。嫌なら立ち去れ!」
 大島が当時、「跳ぶ哲学者」と呼ばれ、誰もが一目を置く存在だったことがわかるエピソード

●科学的トレーニングの導入
 ベルリン大会の事務局長であったカール・ディームと面会した大島は、「インターバルトレーニング」などの科学的トレーニングについて聞き出し、また、人工土「アンツーカー」も譲り受けた

●従軍記者として
 1939年~1945年8月1日までの6年近く、一度も帰国することなくドイツで従軍記者として取材
 アドルフ・ヒトラーと会見し、ドイツの青少年活動やレクリエーション運動について聞き出した

●金沢市での国民体育大会
 戦後、毎日新聞東京本社勤務となり、政治部を経て運動部に配属
 国民体育大会の開催を模索
 1947年、第二回国民体育大会が金沢市を中心に行われた
 同時に、大島の提唱により第一回全国レクリエーション大会も開催された
 (メイン会場は、日本で初めてのアンツーカーの競技場)
 「スポーツは大衆に基盤を持って育成せよ」「余暇を善用して楽しむスポーツでなくてはならない」と、国民はスポーツをレクリエーションとして楽しむ必要があるという「大島アピール」を発表

●スポーツ少年団の創設
 敗戦後、日本は国際オリンピック委員会や国際競技連盟から除名処分を受ける
 しかし、大島の外交術により学生スポーツの復帰の承認を得、日本ユニバーシアード委員会の設立に携わった
 青少年の育成のための環境を整えたり、指導者を育成していくスポーツ施策を行うことが急務であると考え、1962年、日本スポーツ少年団を結成

●東京オリンピック招致と選手強化
 オリンピック招致運動が窮地に陥る寸前のところ、大島は過去のメダリストに連絡し「オリンピック・メダリスト・クラブ」を結成し、世界中のスポーツ関係者に挨拶状を送り招致を促した
 東京大会開催の決定後、選手強化対策副本部長となり、「選手強化五か年計画」を策定
 それまでの日本スポーツの欠陥を分析し、スポーツに「科学」を導入したトレーニングを推進
 選手の発掘と育成、専任のコーチ制度、各競技の世界の著名なコーチや学者を招聘し、選手強化

●平和の祭典オリンピック
 「東京オリンピックの聖火リレーランナーは、高校生たちの若者を中心にする」と提唱
 東京オリンピックの閉会式では、各国選手が入り混じって入場。大島は「世界平和のためにオリンピックが必要だというのは、ああいうことなんだよ」と語ったそうです

●「みんなのスポーツ」運動
 東京オリンピック開催を日本の「スポーツ元年」と位置づけ、二つの大仕事に取り組んだ
 ①1965年、「体力つくり国民会議」を発足、「みんなのスポーツ」をさらに推進した
 ②欧米で発展した「レクリエーション運動」、ドイツ由来の青少年野外活動「ワンダーフォーゲル運動」、生涯スポーツを推奨するノルウェー発祥の「トリム運動」(心身のバランスを保つためにスポーツは大切だという考え)などを次々と日本に紹介した
 生活の中にスポーツを取り入れていこうとするスポーツ団体や組織の活動の種を撒いた一人

●オリンピック平和賞受賞
 1980年、ソ連のアフガニスタン侵攻に対し、モスクワオリンピックのボイコット運動に関し、大島は「政治がオリンピックに介入すべきではない」と権力に立ち向かった(日本は不参加を決定)
 「モスクワオリンピックで平和の芽が残るのか、ぜひとも見たい」と大島はソ連大使館に掛け合ってVIP扱いでソ連に入国した
 前記の「大島アピール」に対し、1982年、アジア人として初めて「オリンピック平和賞」を受賞
 授賞式では「アフリカでオリエンテーションを開催しようじゃないか」とスピーチした

●金沢市小立野に眠る
 1985年、大島鎌吉は77歳で永眠(お墓は小立野の経王寺)


ここまで大島鎌吉のエピソードを聞いて、彼の特徴を表すキーワードを最後にまとめると、「公正」「正義」「理論的」「先進的」「科学的」「挑戦者・開拓者」「平和希求」「情熱」「謙虚」といったところでしょうか。


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名画は語る [学ぶ・読む]

私が好きな画家のひとりでもある日本画家・千住博さんの著『名画は語る』を読みました。
    
   20200906 名画は語る.jpg シンプルな装幀

<目次>
●私たちはなぜ「この絵」に魅了されるのか?
●絵の真実を読み解く
●時代を表現した天才たち
●画家が描きたくなる「もの」
●「生きる」意味を問い続けた画家
●「絵」について考えていること

デューラーの「アダムとエヴァ」に始まり、千住さん自身が選んだ"名画"1点1点について、ある時はエッセイ風に、ある時は物語風に、名画や画家にまつわる興味深い話や制作の意図・裏話、その絵の解釈などがわかりやすく書かれています。
そうか、そんな見方ができるのか~等、絵画鑑賞に新しい視点を加えてもらいました。


もう一冊、美術関連で読んだ本は、『美術展の不都合な真実

  20200920 美術展の不都合な真実.jpg

著者の古賀太さんの専門は映画史、映像/アート・ビジネスですが、かつて朝日新聞社で美術展の企画に携わった経験から依頼されて執筆したそうです。

<目次>
●はじめに―異例ずくめの「フェルメール展」
第1章 混雑ぶりは「世界レベル」の日本式展覧会
第2章 なぜ「○○美術館展」が多いのか
第3章 入場料1700円の予算構造
第4章 明治以降の展覧会と平成型展覧会
第5章 ミュージアムとは何か
第6章 学芸員の仕事と「画壇」の存在
第7章 本当に足を運ぶべき美術館はどこか
第8章 スペクタクル化する展覧会

美術展の企画から出品作品の調達・開催にいたる流れ、主催・後援・協賛などの違い、海外のミュージアムと日本の美術館の違い、入場料の利益構造、新聞社・テレビ局と会場となる美術館・百貨店などの関わり、学芸員の仕事と画壇の存在などを紹介。
美術展関係者にとっては"不都合な真実"(知られたくないワケ)が暴露されていて(すべてではないでしょうが)、この本からは美術展自体の開催の在り方を考えさせられました。


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タグ:評論 美術
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