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名画は語る [学ぶ・読む]

私が好きな画家のひとりでもある日本画家・千住博さんの著『名画は語る』を読みました。
    
   20200906 名画は語る.jpg シンプルな装幀

<目次>
●私たちはなぜ「この絵」に魅了されるのか?
●絵の真実を読み解く
●時代を表現した天才たち
●画家が描きたくなる「もの」
●「生きる」意味を問い続けた画家
●「絵」について考えていること

デューラーの「アダムとエヴァ」に始まり、千住さん自身が選んだ"名画"1点1点について、ある時はエッセイ風に、ある時は物語風に、名画や画家にまつわる興味深い話や制作の意図・裏話、その絵の解釈などがわかりやすく書かれています。
そうか、そんな見方ができるのか~等、絵画鑑賞に新しい視点を加えてもらいました。


もう一冊、美術関連で読んだ本は、『美術展の不都合な真実

  20200920 美術展の不都合な真実.jpg

著者の古賀太さんの専門は映画史、映像/アート・ビジネスですが、かつて朝日新聞社で美術展の企画に携わった経験から依頼されて執筆したそうです。

<目次>
●はじめに―異例ずくめの「フェルメール展」
第1章 混雑ぶりは「世界レベル」の日本式展覧会
第2章 なぜ「○○美術館展」が多いのか
第3章 入場料1700円の予算構造
第4章 明治以降の展覧会と平成型展覧会
第5章 ミュージアムとは何か
第6章 学芸員の仕事と「画壇」の存在
第7章 本当に足を運ぶべき美術館はどこか
第8章 スペクタクル化する展覧会

美術展の企画から出品作品の調達・開催にいたる流れ、主催・後援・協賛などの違い、海外のミュージアムと日本の美術館の違い、入場料の利益構造、新聞社・テレビ局と会場となる美術館・百貨店などの関わり、学芸員の仕事と画壇の存在などを紹介。
美術展関係者にとっては"不都合な真実"(知られたくないワケ)が暴露されていて(すべてではないでしょうが)、この本からは美術展自体の開催の在り方を考えさせられました。


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タグ:評論 美術
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金沢学 2020年9月12日講座「金沢ことばの現在」 [学ぶ・読む]

金沢大学と北國新聞社の共同事業、市民公開講座「金沢学」の9月12日講座。

今回のテーマは「金沢ことばの現在(いま)
講師は加藤和夫氏(金沢大学名誉教授)

以下、受講メモ。

●石川の方言は近畿方言に似ている
 金沢の方言は、(1)京都方面から北国街道沿いに福井を経て伝わったものと、
 (2)城下町金沢が京都や福井方面のことばを一旦受け入れた後に周辺に広がったものがある
 能登地方の方言は、(1)加賀地方から陸路で伝わったものと、
 (2)加賀地方を経由せずに海路で福井方面から伝わったものがある

●石川県の方言は、羽咋郡以北の能登方言、かほく市以南の加賀方言に大きく分けられる
 加賀方言はさらに(1)かほく市以南の金沢市・野々市市・旧松任市を中心とした北加賀方言、
 (2)手取川以南の白山市・能美市・小松市を中心とした中加賀方言、
 (3)加賀市の南加賀方言、の三つに分けられる。
 南加賀方言は、福井県の嶺北方言と共通する特徴が多くある。

●日本語の変化
 地域差と世代差で使う方言に推移が見られる
 例えば、「塩辛い」を金沢近辺では「クドイ」と言うが、若い世代は「ショッパイ」、
 関西に近づくと「カライ」と言う
 鉛筆の芯が尖った状態を金沢近辺では「ケンケン」と言い、若い世代は「ピンピン」、
 富山では「ツクツク」、福井では「ツンツン」。東日本ではこういう形容はしないらしい
 ここで笑い話をひとつ。
 「出した」というのを特に富山では「ダイタ」と言い、
 応用形で「出してくれ」が「ダイテクレ」となり、「抱いてくれ?」と耳を疑ってしまう。

●ことばを含む文化が伝わってくる要因に、交通事情が大きく影響している
 北陸新幹線が開通する前は、関西から福井→石川→富山(最後の到達地)と伝わった。
 最近は、東京から富山→石川と伝わり、富山が最初に東京文化が入ってくる場所となった。

●子どもの頃からずっと同じ地域に暮らしていると「当たり前」と思っていることが実は特殊
 普段食べているもの(揚げ菓子ビーバー等)が全国区だと思いこんでいることもありますが、
 ことばにも同じことが言えます。
 「アタル(もらえる)」(例文)今日は給料がアタル ※抽選で支給されるわけではない
 「~ダイメ(歌の歌詞の~番)」(例文)次、三ダイメ歌いますよ
 「カタガル(傾く)」(例文)壁に掛かっている額がカタガッテルね

●近畿方言に共通するものもあります
 「押しピン(画びょう)」「ペケ(×印)」「チャリ(自転車)」「校区・校下(学区)」

郷土料理、郷土芸能があるように、郷土言語(方言)があるから面白いですよね。


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タグ:方言 金沢
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金沢学 2020年8月講座「金沢城鼠多門の謎」 [学ぶ・読む]

金沢大学と北國新聞社の共同事業、市民公開講座「金沢学」の8月講座に出席しました。

予定では4月に、今年度の開講講座として行われるはずでしたが、新型コロナの影響で延期されたのです。
開講講座だったということで、二部構成でした。

まずは基調講演「金沢城の特徴と魅力
講師は萩原さちこさん(城郭ライター・編集者、公益財団法人日本城郭協会理事)

以下、受講メモ。

●金沢城は、多種多様な石垣が野外美術館の展示のように城内に点在する「石垣の博物館」
 技術面だけでなく、色紙短冊積みに代表される、独自性と美意識の現れが見られる石垣

●織田信長以降、豊臣秀吉の家臣らが城に石垣を採り入れた(そのため、石垣は西日本に多い)

●明暦の大火後、江戸城の天守台の再建を担当したのが5代藩主・前田綱紀だった
 大事業を任されるということは築城技術が高い証拠

●鉛瓦、海鼠壁、唐破風付きの格子窓など、建造物に見られる美意識と格へのこだわり

●鼠多門と鼠多門橋の歴史
 宝暦9年(1759) 金沢大火(宝暦の大火)により金沢城の大半が焼失したが、鼠多門は残存
 明和2年(1765) 鼠多門橋を架け替え
 文化9年(1812) 鼠多門を修理
 明治10年(1877) 鼠多門橋、老朽化により撤去
 明治16年(1883) 玉泉院丸に陸軍監獄署が新築され、鼠多門は陸軍の倉庫として使われる
 明治17年(1884) 鼠多門が焼失
 明治31年(1898) 鼠多門堀が埋め立てられる

●1615年以降、基本的に新しい城は造られなかった
 例外として、徳川幕府が必要とした場所(敵対する大名の領地となり、江戸への街道途中など)には築城された。また、城の改修には幕府の許可が必要だった。

 鼠多門橋から向かって右(南側)の鼠多門の櫓と石垣
 20200830 鼠多門1.jpg
 左(北側)
      20200830 鼠多門2.jpg

基調講演に続いて、シンポジウムとして萩原さん、川元傳氏(石川の伝統的建造技術を伝える会 会長)、小倉正人氏(北國新聞社論説委員)の鼎談がありましたが、とりとめのない話に終始して「金沢城鼠多門の謎」が何なのかすらもわからないまま、、


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タグ:金沢城
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重森三玲 庭を見る心得 [学ぶ・読む]

以前から気になっていた作庭家・庭園史研究者、重森三玲(しげもりみれい 1896-1975)が過去に執筆した文章をまとめた最新刊『重森三玲 庭を見る心得』を読みました。

     20200801 重森三玲.jpg

岡山県に生まれ、21才で上京し日本美術学校に学び、関東大震災を機に岡山に戻るが33才で京都に移住。
三玲という名前は、フランスの画家ジャン・フランソワ・ミレーにちなんで改名したそうです。

以下、読書(解釈)メモ。

●作庭の楽しみ
あらかじめ設計(地割、石組、植栽)をしていても、結局は現場(その場所)でしかできない絶対的なものが庭園。
庭園の場所の広狭・高低、土質、背景、建築との調和などはある程度事前に考えられるが、石の向きや木の枝ぶり、光の加減などは現場でないとわからない。
そこに創作が生まれる。独自の花を咲かせてこそ意味がある。

●流派的な定型化を批判
庭とともに、茶の湯、いけばなを重んじつつも、流派による定型化を批判して新しい感覚による創作性を重んじた。
「元来お茶と云うものは、生活の美的縮図化であり、生活の芸術家だと云う風に考えている私のことだから、固定し、定型化した従来の流派的なお茶は、いわゆる茶の湯だとは考えていない。」

定型化したもののほうが教えやすいからであり、家元制度というギルド的組織によって先生方にとっては生活を支えることにもなる。これは茶道のほか、いけばな、舞踊などにも当てはまる。
しかし、流派的な定型化は創作性を否定することになる。

茶の湯の大成者・千利休は「四十を過ぎれば東を西に、山を谷に」と教えた。
つまり、四十歳頃までは仕方がないから、師匠に教えられた通りを習ってもよいが、その辺から自覚と反省とをもって、師匠が東と教えたら西を創作しなさい、山と教えたら谷を創作しなさい、と言って聞かせているのだという言う。

●庭における永遠性
岸和田城本丸の作庭の際、将来、上空からヘリコプターで飛行しつつ観賞されることも計算に入れて地割した、というエピソードに驚き。

創作の中で重要な点と考えていること。
第一に明朗な庭園であること、第二にボリュームのあること、第三にモダンであること。今日だけのモダンではなく、永遠のモダンであることに最大の努力をした。

●庭を見る心得
「庭を見るということは、庭という一つの芸術品を見ることであるから、正しい心をもって見ることが必要である。」
「寺院の庭を見る時には、庭を見る前に、一応仏殿なり方丈で、本尊や開山に一礼してから庭を見る位の心得がほしい。(中略)そこの主人に対する挨拶と同様である。」

予備知識をつけておくことは一応必要だが、場合によっては最初から無心に庭にぶつかることが必要。(説明テープなどは困ったもの、というくだりに同感)

「一度や二度や三度見たといって、正しく理解出来るものではない。」
庭は生物的存在であるから、天候や季節、時間帯、周囲に人がいるかいないか、見る条件によって千変万化である。

「芸術品を見るということは、自らの心を養う、内容的な栄養素である(中略)その栄養素が大いに摂取出来るのは、その見る人の力であり、見る人の努力であり、見る人の心得次第である。」
"審美眼"を持つ、磨くことが肝要ということですね。


重森三玲さんが作庭した東福寺の「八相の庭」(市松模様、北斗七星の石組など)、大徳寺瑞峯院(十字架の石組など)、最晩年に手がけた最高傑作と言われる松尾大社の「上古の庭」、そして重森三玲庭園美術館(かつての自邸)を訪れて、彼が作庭した芸術品を自分の目で確かめたい。

また、龍安寺の石庭、銀閣寺(慈照寺)の銀沙灘(ぎんしゃだん)と向月台(こうげつだい)という砂盛、嵯峨嵐山の西芳寺(苔寺)の庭園も。

いつか、京都に一週間くらい滞在して、一つひとつの庭をゆっくりと観賞する時間を持ちたいものです。


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タグ:庭園
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金沢学 2020年6月講座「加賀宝生を歩く ~ゆかりの場所で知る歴史~」 [学ぶ・読む]

今年度の金沢大学と北國新聞社の共同事業、市民公開講座「金沢学」が開講されました。

新型コロナの影響で、4月・5月の講座は延期となり、今回の開講にあたっては、会場の長机は間隔が開けられ、受講者はマスク着用・講師はフェイスシールド着用でした。

さて、今月のテーマは「加賀宝生を歩く ~ゆかりの場所で知る歴史~」
講師は、公立小松大学教授 西村 聡(にしむら さとし)氏。

以下、受講メモ。

(1)加賀宝生の定義
●技術的面
 「宝生」はシテ方の流儀。東京の家元・宝生九郎(ホウショウクロウ)を頂点とする。
 金沢では2世佐野吉之助を中心としてシテ方約30名が団結し、加賀宝生の伝統をつぎ、
 三役(ワキ方、囃子方=笛・小鼓・大鼓・太鼓)、狂言方)はそれぞれ各流儀の中心人物を
 網羅し、当地のみで演能できる(地元ですべて揃えられる)状態である。
  ※シテ方の五流儀:宝生、観世、金春、金剛、喜多
 狭義では「加賀のシテ方(の謡い方)」を指して、広義では「加賀のチーム」を指して
 「加賀宝生」と呼ぶ。
●物的面
 能面、能衣装、古文献等、貴重な資料を保管所蔵して演能に使用している。
 金沢能楽会は明治34年(1901)に設立、以来、毎月の定例能の開催を維持している。
●1686年、五代将軍徳川綱吉の命により、前田藩五代藩主綱紀が江戸城で演能したことが
 加賀宝生の始まり。
 二人の大夫(諸橋と波吉)を綱紀の意向で宝生に転流させた。
 御細工所の職人たちに、能楽の一部(謡や囃子)を兼芸させ、教養を高めさせると同時に
 能の人材育成・確保した。
●13代前田斉泰(ナリヤス)の時代が加賀宝生の隆盛期。 

(2)ゆかりの場所
●広坂・香林坊
 加賀八家の一つ、横山家(城南荘)では邸内に能舞台を新築、能楽を催した。
 宗家隆平、分家隆興は鉱山業で成功。両家は金沢能楽会の最大の保護者。
 佐野吉之助の佐野舞台開き(明治33年)、金沢能楽堂舞台開き(昭和7年)
 石川県立能楽文化会館舞台開き(昭和47年)、広坂から石引へ移転。
●県立能楽堂・兼六園
 杜若像の設置(2世佐野吉之助がモデル)
●卯辰山
 卯辰神社境内の井筒:大和国在原寺の井筒が移設された
●浅野川河畔・東山界隈
 浅の川稲荷神社(天道寺)には「宝生紫雪先生終焉之地」碑がある
 観音院では神事能が催された
●尾山神社
 百万石まつりに薪能を行う
 佐野吉之助とともに金沢能楽会の中心的存在となる飯島家は、加賀藩町役者の家柄。
 明治維新後も金沢にとどまり、現在(10世六之佐)まで芸を継承しているのは飯島家のみ。
●大野湊神社
 毎年、神事能を行う

先日行ったばかりの卯辰山三社の話(井筒、泉鏡花の『照葉狂言』に出てくる日暮の丘)も出てきて、金沢市内の各所に能に関係ある場所が点在していることを興味深く聞きました。

金沢能楽会の毎月の公演も新型コロナの影響で休演が続いています。
最近、無観客で演能を行いネット配信(無料)されることになりました
私も年に一回は石川県立能楽堂で能・狂言の公演を観るのを楽しみにしていますが、早く通常の公演が再開されるのを願っています。

     20200613 金沢能楽会.jpg

今日は初回の受講とともに、今年度の金沢検定の受験申込(中級!)をしました。
10月末の試験日に向けて、ゆかりの地を歩いてめぐる実践型学習も続けます。


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タグ:検定 能楽 金沢
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親鸞と蓮如 [学ぶ・読む]

困ったときの神仏頼み、というわけではありませんが、現在起こっている世界規模の新型コロナ禍に、いつも以上に神さまや仏さまにお祈りしたくなります。

おうち時間が増えたので、映画鑑賞(テレビ録画したもの)のほか、読書の時間もできました。

 20200429 親鸞&蓮如.jpg
 五木寛之さんは京都の龍谷大学で仏教史を学んだこともあるのですね

11月から始めた浄土真宗にちなんだ読書。
冬の間は原田マハさんの著作を連続して読んでいたので、いったん中断していましたが、図書館が臨時休館となり、本が借りられなくなったので(本を買わない派)、実家から持ってきて手元にある本を読み、ようやく読み終えました。


浄土宗の宗祖・法然上人が説く「ただ念仏(専修念仏)」の教えに自らが進むべき道を見出した親鸞(当時は範宴・はんねん、1173~1262)
南無阿弥陀仏を唱えることで、すべての衆生が皆ともに等しく救われていく道を「まことの仏法」と受け止め、約800年前に自らが宗祖となって開いたのが浄土真宗。

親鸞聖人の死後およそ200年後の戦国乱世の時代に、親鸞聖人の教えを広く民衆に教えを伝えたのが、真宗大谷派(東本願寺)第8代蓮如上人(1415~1499)
蓮如上人は、15世紀の戦乱と飢餓のなかで苦悩し喘ぐ人々に、親鸞聖人が明らかにされた本願念仏の教えに立ち、ひたすら阿弥陀仏に帰依するところに成り立つ、何ものにもとらわれない人間の解放の道を明らかにし、共に生きる力と勇気を多くの人に伝えたことから、「真宗再興の上人(中興の祖)」と仰がれる。

真宗王国とも呼ばれる北陸。
吉崎(福井県)にしばらく滞在したほか、北陸のあちこちへと出かけていき、仏法をわかりやすく説いて歩いた「蓮如さん」の功績が大きいところです。

親鸞も蓮如も仏教の教えに向かう態度は禁欲的でありながら、肉食妻帯であったり、社会の一般庶民と同じ目線で物事を見て行動する感性に共感と親しみを覚えます。

父が晩年、東本願寺の参議会議員として年に数回、京都に通っては関連書籍を買って(もらって?)きたらしく、実家にはまだまだ浄土真宗関連の書籍があります。
これからも機会を見つけて読み、父がなぜ仏教にあれほど帰依するようになったのか、理解したいと思います。

【学びメモ】
●上人と聖人(しょうにん)
 修行を積み、智徳を備えた高僧の敬称。上人をさらに尊んでいう場合に聖人の語を用いる。

●一向宗(いっこうしゅう)
 浄土真宗のことを指す。
 阿弥陀仏一つを一向に(ひたすらに)信ずるので、世間の人たちが「一向宗」と呼んだのであって、親鸞聖人が言ったのではない。

●一向と只管(ひたすら)
 暗い心を明るい心にする力は、阿弥陀仏にしかないから、「一向専念無量寿仏(阿弥陀仏一仏に助けてもらいなさい)」というのが、お釈迦さまの仏教の結論。浄土教の教え。
 只管打坐(しかんたざ)は、ただひたすら座禅すること。禅宗の語。


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タグ:仏教
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引き続きハマってます [学ぶ・読む]

外出自粛は読書日和。

3月までに6冊読み終えた原田マハさんの著作

7冊目は「でーれーガールズ」

     20200320 でーれーガールズ.jpg

岡山県の女子高校生の友情の物語と思いきや、いつものようにラストでの急展開。
過去(高校時代)と現在(50才間近)を行ったり来たり。
マハさんの文体、話の展開は私に合っているのかも。すんなりと読み進められます。
2015年に映画化されたそうなのですが、再上映があったら映像で見てみたい。

8冊目は「楽園のカンヴァス」

     20200405 楽園のカンヴァス.jpg

原田マハさんの真骨頂、美術分野の小説です。
ヘタうま日曜画家、アンリ・ルソーと彼の絵画『夢』がモチーフ。
美術好きの私にとっては文字を読みながらアートを鑑賞している気分にもなれる。
この小説も時間と空間を行ったり来たり。

さて、次はどんな世界に誘われましょうか。


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タグ:小説
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原田マハにハマっています [学ぶ・読む]

外出自粛なら読書が最適よね。

金沢市・市民大学講座の最終回で原田マハさんの文庫本を買って読んでから、次々と彼女の著作を読んでいます。

ハマるきっかけとなった、旅にまつわるエッセイ『フーテンのマハ』

  20191112 フーテンのマハ.jpg

マハさんと私の共通点。
旅好き、アート好き、映画が好き、食べることが好き。
読みながら一緒に各地を旅している気分になれた。

小説『本日は、お日柄もよく』

  20191226 本日は、お日柄もよく1.jpg

面白い。
正直言って、私は読書があまり得意でない。
にもかかわらず、マハさんのリアル感、躍動感あふれる文章は私の読む目を次の行、先のページへとグイグイと進ませてくれる。心地よいスピード感で。
話の中には読んでいても感動するスピーチがいくつも登場する。
それは「言葉のプロフェッショナル」「伝説のスピーチライター」久遠久美が書いたことになっているが、それを書いたマハさん、あなたこそが「言葉のプロフェッショナル」なのではないですか。

小説『まぐだら屋のマリア』

  20200111 まぐだら屋のマリア.jpg
  本を借りる玉川図書館のカフェにて

ちょっとミステリーっぽい展開にハラハラ。

次はマハさんの専門分野、アートを題材にした小説を読んでみようと、『ユニコーン ジョルジュ・サンドの遺言』

  20200207 ユニコーン.jpg

2013年7月に東京・乃木坂の国立新美術館で開催のフランス国立クリュニー中世美術館所蔵「貴婦人と一角獣展」で実物を見ましたが、タピスリーの迫力ある大きさ、図柄の精巧さに圧倒されました。
その一角獣(ユニコーン)のタピスリーにまつわる物語。

日本初、沖縄産アグリコール・ラム酒を造ろうと起業した女性、金城祐子さん(南大東島に本社を置くラム酒製造会社グレイスラムの代表取締役社長)をモデルに創作した小説『風のマジム』

  20200227 風のマジム.jpg
  マジムとは主人公の名前でもあり、沖縄の言葉で「真心」の意味
  
若い女性がラム酒造りに挑戦する実話のドキュメンタリー映画を観ているように、一行一行読み進めながら映像が目の前で展開するようなイキイキとした臨場感を感じました。

読み終えたばかりの小説『異邦人(いりびと)』

  20200313 異邦人.jpg
  
画商、美術館、画家といった登場人物たち、舞台は東京・銀座と京都とが交互に展開。
東日本大震災が起きた直後(原発事故発生後)の2011年の世の中の様子も描かれている。
終末に向かうほどスリリングな展開になり、背筋がゾクゾクっとする結末。

四か月間に6冊を読み終え、今はまた借りてきた一冊を読み始めた。
もうしばらくは原田マハにハマったままでいよう。


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金沢学 2020年2月講座「金大資料館に眠るお宝」 [学ぶ・読む]

今月の市民公開講座「金沢学」のテーマは「金大資料館に眠るお宝
講師は、金沢大学資料館特任助教 松永篤知(まつながあつし)氏。

 金沢学2月.jpg
 (北國新聞の記事)

(1)金沢大学資料館とは
 ●1989年(私が卒業した年)、金沢城内キャンパスから角間キャンパスへの移転に伴い開館
 ●金大およびその前身校、それらに関係した人々の学術資料・記録等を収集・保存・公開
 ●2016年、博物館相当施設に指定(北陸の教育機関としては初)

(2)主なお宝の紹介
 ●四高考古資料
  須藤求馬(もとめ、旧制第四高等学校の教員)が設立した北陸人類学会の採集品など
  (明治時代に発見された、平安時代の大野村採集土師器高坏など)
 ●井上鋭夫(としお)発掘資料
  1968年~69年の間に金沢城跡を発掘調査した際に出土した遺物(梅鉢紋釉薬瓦など)
 ●当世具足
  美術資料として収蔵している近世加賀藩の甲冑(2領)
 ●加賀藩校扁額
  1792年設立の「明倫堂(文学を学ぶ)」「経武館(武学を学ぶ)」に掲げられていた扁額
     20200215 金沢大学資料館の30年8.jpg

 ●梅田日記
  梅田家現当主より資料館に寄贈されたもの
  幕末・明治期を生きた梅田甚三久(じんさく、当時は能登屋甚三郎)の日記
  幕末期金沢庶民の暮らしを伝える貴重な史料
 ●大樋焼
  第十代大樋長左衛門(現 陶冶斎)が1997年に制作した花器(高さ70cm)
  (1999年3月に金沢大学の創立50周年を記念して寄贈された)
 
【おまけ】
講座と時期を合わせて、石川四高記念文化交流館(多目的理容室1)で令和元年度金沢大学資料館アウトリーチ展「金沢大学資料館の30年 in 四高記念館」が開催されていたので観てきました。

  20200215 金沢大学資料館の30年1.jpg
  「富士山」の絵は広田百豊の日本画

 20200215 金沢大学資料館の30年2.jpg 郡司和男「堕天使」1978年

  140年前の教材、実験用機器など
  20200215 金沢大学資料館の30年3.jpg

  大正時代の恐竜模型(島津製作所標本部製)
  20200215 金沢大学資料館の30年4.jpg
  愛嬌を感じる

  100年前?のムラ―ジュ(moulage、フランス語で「型」)のキノコ
  20200215 金沢大学資料館の30年5.jpg
  複製対象を石膏等でかたどって蝋を流し込み、手彩色で仕上げている

  正倉院ガラス器の複製
  20200215 金沢大学資料館の30年6.jpg

他にも、金沢市に総合大学を設置することを求めた経緯が記録されていて興味深く読みました。

     20200215 金沢大学資料館の30年7.jpg


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五十になるって、あんがい、ふつう。 [学ぶ・読む]

岸本葉子さんのエッセイ『五十になるって、あんがい、ふつう。』を読みました。

     20200211 五十になるって、あんがい、ふつう。1.jpg     

岸本さんが50才を迎える前と後の頃の心と体、生活の変化などを書き綴ったエッセイ。

この本も、図書館に本を返しに行って「今日返ってきた本」のコーナーに置いてあったのを見つけて、ジャケ買いならぬタイトル借り。
薄いし(ページ数が少ないし)、文字も少ないし、内容もエッセイで読みやすそうだし、迷わず借りることにしました。

目次から抜粋。
●なぁんてことはなかったよ
●痩せる食べ方、太る食べ方
●ときめきを身につける
●自分のことをほめていますか? など 

うんうん、そうだよね、と頷くことばかり。

先日、50代真ん中になった私。
60才になった時には、「なぁんてことはなかったよ」という心境になるのかしら。
人生日々未経験の連続です。


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